| 第二弾 040202  特許権持分確認等請求事件 : 中村教授 vs 日亜化学 From 東京地裁


当事者の主張:被告の反論




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2 被告の反論   

(1) 本件特許権の相当対価    

ア 相当対価の算定式      

特許法35条4項の相当対価算定が問題になった過去の裁判例を分析すると,本件のように,従業員発明者の単独発明に係る特許発明について,使用者会社が当該発明を他社にライセンスせず,自社のみで実施して売上を得ている場合には,裁判例は,使用者会社の売上高に競業他社に対して当該発明の実施を禁止できたことに起因して得られた割合を乗じ,これに実施料率を乗じて,さらに発明者の貢献度を乗じ,相当対価の額を算定しているものと考えられる(東京地判平成4年9月30日判決・判例時報1433巻129号,大阪地判平成6年4月28日・判例時報1542巻115頁,大阪高判平成6年5月27日・判例時報1532巻118頁等参照)。現在のところ,相当対価算定に関する確立した手法は存在しないから,上記のような算定方式が著しく不合理でない限り,従前の裁判例に表れた,「相当対価=被告の売上高×競業他社に発明の実施を禁止できたことに起因する割合×実施料率×発明者の貢献度」という算定式によるべきである。    

イ 競業他社に発明の実施を禁止できたことに起因する割合について      

被告提出に係る乙94(大阪府立大学先端研究所I氏の意見書),乙112(早期審査に関する事情説明書),乙113(電気学会技術報告),乙114(名古屋大学名誉教授A博士らの論文)及び乙115(京都大学大学院工学研究科J博士の意見書)によれば,@ 本件特許発明のツーフロー方式が発明された当初から,すでに競業他社である豊田合成において,本件特許発明と同等かそれ以上のGaN結晶膜成長方法が開発されていたこと,A 本件特許発明の方法によると,わずかな反応回数によりGaN結晶物が押圧ガス副噴射管及び原料ガス噴射管に付着し,この方法は再現性が極めて悪く,工業化には全く不向きな技術であったこと,B 近年に至っては,MOCVD装置の汎用機メーカーが,結晶成長指導とセットにして汎用機を販売しており,しかも,このような汎用機によって成長させたGaN化合物半導体の結晶性は,本件特許発明の方法により成長させたそれの結晶性を上回っていること,以上の各事実が認められる。また,C 原告自身が,原告及びNS博士の共著に係る書籍「青の発見 赤の発見」(乙98)において,本件特許発明の方法により成長させたGaN化合物半導体の結晶性について ,「できたものは,せいぜい他所でやっている結晶とどっこいどっこいの結晶ですよ。」と明確に述べている。      

以上を勘案すると,被告会社の売上高における,豊田合成等の競業他社に対して,本件特許発明の実施を禁止できたことに起因して得られた売上の割合は,ゼロであるといわざるを得ない。    

ウ 実施料率について      

前記アの算定式における項目のひとつである「競業他社に発明の実施を禁止できたことに起因する割合」がゼロである以上,本件特許権の相当対価がゼロであることは明らかであり,これ以上の反論は本来不要であるが,議論を明確にするため,上記算定式のもうひとつの項目である実施料率についても述べておく。      

本件のように相当対価算定の対象となる発明の実施契約が存在しない場合においては,過去の裁判例は,競業他社等の平均値を参考にして実施料率を認定しているものと考えられるが,上記イで述べたとおり,本件特許権は競業他社に対する優位性のない技術であるばかりか,特許公報等の資料によれば,競業他社である豊田合成やクリー社は,いずれも本件特許権の方法と異なる独自のMOCVD装置を使用しているものと認められる。このように,競業他社に対する優位性がない上に,代替技術が存在する以上,それだけで実施料率は限りなくゼロに近いといわざるを得ない。      

そもそも,本件特許発明の方法は,それだけで製品化に耐え得る質の窒化物半導体結晶膜の成長を可能にするものではなく,この方法を実施したツーフロー方式1号機及び同2号機等は,工業的に無意味な装置ではなかったにせよ,競業他社に対する優位性は全くなかった。基板に平行ないし傾斜した方向から供給される原料ガスをいわゆる層流の状態にして,良質な結晶性のGaN系化合物結晶膜を成長させるためには,ガス噴射管の形状・角度,供給するガスの流速,基板の加熱温度等のいわゆるノウハウに属する部分が極めて重要であり,被告会社は,上記1号機及び2号機等に改良を加えてノウハウを蓄積し,本件特許発明が登録される直前の平成9年4月15日ころには,本件特許発明と別個の技術思想に基づく窒素化合物の半導体結晶膜成長方法を開発した。これが,被告現方法(別紙「被告方法目録」記載の方法)であり,被告会社は,そのころから現在に至るまで,被告現方法を実施したMOCVD装置(以下「被告現装置」という。)を稼働させて,高輝度青色LED及びLDの全製品を製造している。      

上記のとおり,良質なGaN結晶膜を成長させるにおいて本件特許発明が果たす役割は,被告現方法及び被告現装置が果たす役割に比して著しく小さく,100分の1にも満たない。このような観点からしても,本件特許権自体の実施料率は限りなくゼロに近いものというべきである。    

エ 発明者の貢献度      

さらに,本件特許権の相当対価を算定する際の項目のひとつである発明者の貢献度について,被告の見解を述べる。      

本件においては,@ 被告会社は,昭和48年ころから将来のLED開発をにらんで基礎研究を始めており,半導体について全くの素人であった原告は,被告会社に入社して初めて,その開発方針に従い,同社が蓄積した半導体の基礎技術を学びながら,研究者として成長していったこと,
A 本件特許発明の直接のきっかけとなったMOCVD装置の購入は,被告会社の開発方針に基づくものであり,原告はその方針に従って,同装置に関する基礎研究を目的として米国フロリダ州立大学に派遣されたこと,
B MOCVD装置は,これを購入した平成元年当時で約1億3900万円と高価なものであり,当時の被告会社の規模(ちなみに,同社の平成元年度の経常利益は11億3000万円である。)からすれば莫大な投資であると同時に,原告が自認するとおり,LED製品化のめどは全く立っておらず,非常にリスクの高い投資であったこと,
C 結晶膜成長の基板となる2インチのサファイヤ基板は,平成2年当時の価格が1枚3万円強であるなど,MOCVD装置を使用した実験は非常にコストがかかるものであり,本件特許発明が特許出願される同年10月ころまでの間に,同装置に関して約3億8000万円も の開発研究資金を投じた被告会社の大胆な投資なくして,本件特許発明は完成に至らなかったこと,
D 被告会社特許部は,本件特許発明を特許出願した後も,拒絶理由通知及び特許異議申立に対して苦慮しつつ適切に対応し,再度にわたる補正を経て平成9年4月の登録にこぎ着けたものであり,このような特許部の尽力なくして,本件特許権は成立し得なかったこと,
E 他方,原告は,本件特許権の事業化の過程において,例えばプロジェクトチームに参加するなど積極的に関与したことはなく,それどころか会議にも全く出席しないなど,事業化過程に何らの貢献もしていないこと,以上のような事情が存在する。      

これらの事情に照らせば,本件は,過去の裁判例でいえば,いわゆるオリンパス光学事件の1審判決(東京地判平成11年4月16日・判例時報1690号145頁)及び2審判決(東京高判平成13年5月22日・判例時報1753号23頁)の事案に最も近いというべきであるが,同事件における発明者の貢献度は,様々な事情を勘案した上,5%と認定されている。しかるに,平成2年当時の被告会社がMOCVD装置に投資することで負担したリスクが,東証一部上場の大企業であるオリンパス光学工業株式会社が負担したリスクよりも著しく大きいことはいうまでもない。したがって,本件特許発明における原告の貢献度は,どんなに多く見積もっても5%を上回ることはあり得ない。    

オ 結論      

以上のとおりであるから,いずれにせよ,本件において,原告が本件特許を受ける権利を被告に譲渡したことに対する相当な対価(特許法35条3項)は,ゼロと算出されるべきものである。

(2) 原告の主張に対する反論    

ア 将来利益について      

特許を受ける権利は,特許法上,譲渡可能な財産的権利として規定されており(同法33条1項),同法自身が,特許を受ける権利の対価を,特許登録の有無とはかかわりなく譲渡時に客観的に算定可能なものとみていることが分かる。また,同法35条4項が,使用者が現実に受けた利益ではなく,「使用者が受けるべき利益」を相当対価の算定根拠としていることからしても,特許法が譲渡時に定まった額の相当対価請求権を発生させ,原則として譲渡時から同請求権の行使を可能にしたものであることは明らかというべきであり,過去の裁判例もそのことを当然の前提にしてきた。      

以上から明らかなとおり,特許法35条の相当対価算定において算出されるべきは,あくまでも譲渡時における期待利益であって,従業者の請求の時期によって基準時が前後することはない。したがって,相当対価算定において斟酌することが許されるのは,譲渡時において合理的に予想される限度においての将来利益であって,原告が主張するように,本件特許を受ける権利の譲渡から10年以上を経過した本件訴訟の口頭弁論終結時において算定される将来利益ではあり得ない。本件訴訟口頭弁論終結時までに被告が実際にあげた利益についても,あくまで譲渡時における期待利益を算定するに際し,1つの資料として斟酌することが許されるにすぎない。      

そうすると,原告の主張は,その前提となる特許法35条の趣旨の理解を誤ったものというべきであり,この誤った理解に基づくトーマツ鑑定書(甲122)及びベンチャーラボ&ASG鑑定書(甲129の1)の各鑑定結果も,また誤りといわなければならない。    

イ 譲渡時における期待利益      

ちなみに,青色LED開発の経過に照らせば,単純なpn接合型LEDの実現までに限っても,@ 結晶性の良いGaN結晶膜の成長,A サファイア基板上にバッファ層を設ける着想(前記「GaNバッファ層の発明」),B p型GaN化合物半導体を製造するためのMgドープ,C p型化の際のアニール(熱処理)(前記「p型化アニーリングの発明」),という技術的課題が存在したのであり,原告及び被告会社は,最後の難題であった上記Cの点(アニール技術の確立)の解決に成功したことにより,世界的にその名を知られるところとなった。これに対し,本件特許発明は,上記@に対する1つの解決方法を提供するものにすぎず,本件特許を受ける権利が譲渡された当時は,青色LED製品化の実現は,まだまだ遠い先の話であり,予想すらできなかったと言っても過言ではない。そのことは,原告自身が,本訴において,「本件特許権のツーフローMOCVDが,1990年に出来た時は,まだ青色LEDが開発できるとは,N教授は想像もできなかった。」(平成15年1月29日付け原告第20準備書面38頁)と認めるとおりである。その後被告会社が高輝度青色LEDの製品化に成功したのは,ダブ ルへテロ構造や量子井戸構造の発光層の実現,さらには被告会社の技術陣による絶え間ないノウハウの蓄積によるところが大きい。      

このような事実関係の下においては,本件特許を受ける権利が譲渡された平成2年当時,本件特許発明により受けることになると見込まれる期待利益は,ほとんどゼロに等しかったというべきである。    

ウ 新日本監査法人鑑定書      

上述のとおりであり,いずれにしても,本件特許権についての職務発明の相当対価はゼロというべきであるから,これ以上の算定は不要である。      

しかしながら,被告は,使用者がその企業生命を賭けて研究開発方針を決断し,それに基づき莫大な研究開発費用を投じるという大きなリスクを負担していることを相当対価算定に反映させるため,また,被告会社が高収益をあげている事実が原告のマスコミ宣伝等により独り歩きすることを防ぐため,前記独占の利益についてのあるべき見解を明らかにしたいと考え,新日本監査法人作成に係る「調査結果報告書」と題する書面(乙117。以下「新日本監査法人鑑定書」という。)及びL助教授ほか作成に係る意見書(乙151)を証拠として提出した。以下,新日本監査法人鑑定書に基づき,被告の見解を述べる。     

@ 特許法上の相当対価請求は,使用者があげた利益の分配的な要素を持つものであるが,分配の対象になるのは,単なる計数上の利益ではなく,支払利息や為替損益等の営業外損益を控除した後に,最終的に企業の手元に実際に残った利益とみるべきである。       

したがって,特許関連製品がもたらした利益を算定するに際しては,トーマツ鑑定書が採用する税引後営業利益ではなく,税引後当期利益を基礎とすべきである。     

A 商法上の決算書記載の数字だけをもとに各製品群の損益を確定させて対象期間の損益を集計したのでは,製品販売に至る前の研究開発費及び試験研究用固定資産残高を考慮できない結果となる。       

しかし,これらは当該特許発明の開発のために特別に支出されたものであるから,特許関連製品がもたらした利益の算定に際し,対象期間の損益から控除されるのは当然である。       

新日本監査法人鑑定書は,このような見解に基づき,青色LEDが製品化された平成5年以前の研究開発費合計約52億6300万円を控除しているものであり,妥当である。これに対し,トーマツ鑑定書は,原告自身の評価に基づき10億円の研究開発費を控除しているが,なぜ会計帳簿記載の客観的な数値によらず,原告自身の評価額などという根拠薄弱な数値を採用するのか,理解に苦しむ。     

B わが国の現行会計制度では,研究開発用に購入した資産は,一定年数で償却し,償却した金額を償却年度の費用とすることが認められており,決算日における未償却残高は資産として次期以後に繰り越される。被告会社においても,平成13年12月末時点で,特許関連製品の研究開発に供している資産の未償却残高が計上されている。       

しかしながら,研究開発資産は用途が限られ,他に転用できず,将来の収益獲得に貢献する機会がないから,本来資産として評価されるべき価値を有しない資産である。したがって,米国の会計処理実務においては,資産として次期以後に繰り越さず,取得した時の費用とする処理が一般的に認められている。このような実情に加え,同資産を購入した時点で既に企業から現金が流出している点をも考慮すれば,特許関連製品がもたらした利益の算定に際し,同資産の未償却残高を控除すべきことは当然である。     

C 特許関連製品がもたらした利益の算定に際し,決算上の損益計算書における当期損益をベースにすると,借入金等の負債資本コストにかかるコスト(支払利息)は考慮されるものの,自己資本(資産から負債を差し引いた純資産)に対応するコストは考慮されないことになる。       

しかしながら,現在では,投資に伴って生じる危険負担コストとして上記自己資本コストを考慮に入れることが企業経営に欠かせない重要な概念になっており,上記利益の算定にあたっても,自己資本コストを控除する必要がある。同コストの算定に使用する資本コスト率は,資金提供者である債権者及び株主が要求する最低限の利回り率で表され,現在では,安全証券の利子率に当該株式のリスク・プレミアムを加算して最低利回りを算出するCAMP法(資本市場モデル)によることが一般的になっている。       

新日本監査法人鑑定書は,上記CAMP法を採用した上,被告会社が非上場会社で計算に必要なデータが得られないことから,被告会社と競業関係にある米国NASDAQ上場のクリー社の自己資本コスト率を算出し,被告会社の自己資本コスト率もこれと同一とみなして,自己資本コストを算出したものであり,合理的な算定方法というべきである。       

これに対し,トーマツ鑑定書は,プライムレートを基礎として自己資本コストを算出しているが,自己資本コスト率は,元本保証のない拠出資本を回収するのに見合う率に設定されるものであり,その算出に,元本保証のある投資に対するリターンの利率であるプライムレートを用いるのは不適切である。      

以上のとおりであり,上記@〜Cに基づき,青色LEDが製品化された平成6年12月期から平成13年12月期までの間に,特許関連製品により被告会社にもたらされた損益を計算すると,別紙「相当対価算定についての被告の主張」記載のとおり,14億9000万円の損失という結果になる。      

このような算定結果も,本件特許権についての職務発明の相当対価はゼロである旨の被告の前記主張を裏付けているというべきである。   

(3) 被告現方法について    

ア 本件特許発明の方法,被告当初方法及び被告現方法      

ところで,原告は,本件特許発明がされて以後現在に至るまで,被告会社が一貫して本件特許発明を実施していることを前提に,本件特許発明を独占できることに起因する利益を主張し,特許法35条3項,4項の相当対価を請求している。      

しかしながら,本件特許発明を含むツーフロー方式のMOCVDにおいて,良質な窒素化合物半導体結晶膜を成長させるためには,反応ガスの流れを基板に平行な層流の状態に保つ必要があるところ,原告が発明した本件特許発明の方法はこの点を必ずしも十分意識しておらず,再現性の極めて悪いものであった。すなわち,原告の発明に係るツーフロー方式は,反応ガスを上記層流の状態に保つため,基板に実質的に垂直な方向から供給される不活性ガスを所定の圧力に基づき供給することを必須の要件とするものであったが,特許請求の範囲にはこの点に関する要件が開示されておらず,明細書の記載だけをみると,未完成発明というべきものであった。      

そこで,被告会社においては,本件特許発明がされた直後から実験を繰り返し,上記不活性ガスの所定の圧力に関する最適条件を見付け出した上,この条件に基づきツーフロー方式(以下「被告当初方法」という。)を実施して,青色LEDの研究開発及び製品化を進めた。この被告当初方法は,本件特許発明の構成要件に,上記不活性ガスの所定の圧力に関する要件を付加したものであって,本件特許発明との関係でいえば,せいぜいその改良発明に当たるものでしかない。その後,被告会社は,平成8年11月16日ころから,徐々に被告当初方法から被告現方法への切り替えを始め,本件特許権が設定登録される直前の平成9年4月15日以後は,被告会社が保有するすべてのMOCVD装置につき,本件特許発明とは別個の技術思想に基づく発明である被告現方法を実施して,高輝度青色LED及びLDの全製品を製造している。   

イ 本件特許発明と被告現方法の対比      

被告現方法は,本件特許発明の技術的範囲に属しない。この点に関する主張は,別紙「被告現方法についての被告の主張」記載のとおりである。      

したがって,被告会社が現在に至るまで本件特許発明の方法を実施していることを前提とする原告の相当対価請求は,その前提を欠くものであり,この観点からも,本件特許発明についての職務発明の相当対価の額は,限りなくゼロに近いというべきである。   

(4) 消滅時効の援用    

ア 判例の法理      

オリンパス光学事件最高裁判決(最高裁平成13年(受)第1256号同15年4月22日第三小法廷判決・民集57巻4号477頁)は,職務発明の相当対価の支払時期については,額の場合と異なり,特許法35条4項のように勤務規則等の定めを修正する規定がないから,「勤務規則等に対価の支払時期が定められているときは,勤務規則等の定めによる支払時期が到来するまでの間は,相当の対価の支払を受ける権利の行使につき法律上の障害があるものとして,その支払を求めることができないというべきである。そうすると,勤務規則等に,使用者等が従業者等に対して支払うべき対価の支払時期に関する条項がある場合には,その支払時期が相当の対価の支払を受ける権利の消滅時効の起算点となると解するのが相当である。」と判示する。      

同判決は,使用者会社の社内規定等に,その法的性質が特許法35条所定の相当対価の一部又は全部と評価し得る金員の支払規定が存在する場合には,従業者等はそこに規定された支払時期に拘束され,同時期が未到来であることが「法律上の障害」に該当し,その結果,消滅時効の起算点がその時点にまでずれ込むことを明確にしたものと解される。    

イ 消滅時効の起算点      

特許法35条は,職務発明の相当対価を,特許を受ける権利を譲渡した時点で客観的に算定可能なものとみているから(同法33条1項),同対価の支払時期についても,上記譲渡時における一括払いを原則としているものと解される。しかるに,勤務規則等において,譲渡時における一括払い以外の支払方法が規定されている場合に,従業者等が常にこれに拘束されるとすると,使用者が恣意的に支払時期を遅く設定した場合にまで,従業者等は,その時期が到来するまで相当対価請求権を行使することができなくなり,特許法が同法35条3項,4項という片面的な強行規定を置いて従業者等の保護を図った趣旨にもとる結果となる。      

したがって,使用者が勤務規則等において,譲渡時の一括払い以外の補償を定めている場合に,それが相当対価の支払の一部又は全部と評価され,その結果,消滅時効の起算点が当該補償の支払時期にずれ込むことが許容されるためには,上記補償に関する規定が,法が原則とする譲渡時の一括払いに代替し得る合理的な支払方法と評価できるものでなければならない。勤務規則等に定められた支払規定がそのように評価できない場合には,従業者等の保護のため,原則に戻って,特許を受ける権利が譲渡された時から,当該発明に係る相当対価請求権の行使が可能と解すべきである。このような場合には,相当対価請求権の消滅時効も,当然,権利の譲渡時から進行することになる。    

ウ 本件へのあてはめ      

前記のとおり,本件特許発明の特許を受ける権利が譲渡された平成2年当時の被告社規(乙7の1。昭和60年改正後の社規第17号)10条を受けて定められた社規第17号付則−1は,「U 2.褒賞金支給基準」の項で,特許出願1件につき1万円,権利成立1件につき1万円と,定額かつ低廉な出願補償金及び登録補償金を定めるのみで,いわゆる実績補償の性質を有する金員の支払は一切定められていない。      

特許法35条4項が,相当対価算定に当たって考慮に入れるべき要素として,「使用者等が受けるべき利益」を挙げていることから分かるとおり,同法の想定する相当対価請求権は,使用者があげた利益を分配する要素を持つものである。しかるに,上記社規付則における出願補償金及び登録補償金は,当該発明の技術的価値や見込まれる経済的利益の大小を一切考慮することなく,一律に定額の対価を支給するものであり,使用者利益の分配的な要素を一切有していない。このような規定を相当対価の全部又は一部の支払を定めたものと解するときは,実績に見合う対価が支払われる可能性はなく,1〜2万円という低廉な対価しか支払われないことが分かり切っているのに,特許を受ける権利を承継してから登録の有無が定まるまでの長期間,法律上の障害が存在するものとして相当対価請求権の行使を控えなければならないという,従業者等にとって一方的に不利な結果となる。      

そうすると,このような社内規定を,譲渡時の一括払いに代替し得る合理的な支払方法と評価することはできないから,本件においては,法の定める原則に戻り,特許を受ける権利の承継時(遅くとも,特許出願の日である平成2年10月25日)から相当対価請求権が行使可能であったと解すべきものである。したがって,消滅時効も当然この時点から進行することになる。そうすると,相当対価請求権の消滅時効の期間を5年(商法522条)と解するにせよ,あるいは10年(民法167条1項)と解するにせよ,いずれにしても,本件特許発明についての職務発明の相当対価請求権は,本件訴訟が提起されるより前の遅くとも平成12年10月25日の時点において,既に時効消滅したものというべきである。被告は,平成14年12月19日の第10回口頭弁論において上記消滅時効を援用した(同月18日付け被告第11準備書面)ので,原告の請求は理由がないことに帰する。    

エ オリンパス光学事件最高裁判決の射程      

なお,オリンパス光学事件最高裁判決においては,裁判所が算定した相当対価から,従業員発明者に支払われた出願補償金3000円,登録補償金8000円及び工業所有権収入取得時報償金(実績補償金)20万円を控除した上,最後に支払われた工業所有権収入取得時報償金の支払時期を消滅時効の起算点と解し,不足分の支払を命じた1審判決及び2審判決の結論が維持されている。      

しかし,最高裁がこのような結論を採ったのは,上記工業所有権収入取得時報償金支払に関する社内規定を,金額の点はさておいても,譲渡時の一括払いに代替し得る合理的な支払方法と評価することができたからである。すなわち,このような規定があれば,同規定に基づき算定される実績補償金の支払を待って,なお不足分があると考えた場合には,特許法35条3項,4項に基づき司法判断を求めることができる。したがって,実績補償金の支払時期から消滅時効が進行すると解しても,何ら従業者等の保護に欠けるところはない。オリンパス光学事件最高裁判決は,まさにそのような事案であった。もともと,実績補償制度は,使用者利益を従業者等に還元する目的で設けられた制度であり,出願補償及び登録補償に加えて実績補償の定めを置くことで,経済的価値の高い発明に対しては実績補償で報いる一方で,経済的価値の低い発明に対しては一律定額の出願補償及び登録補償で済ませるという合理的な運用が可能となるのである。      

しかるに,本件においては,前記のとおり,出願補償金及び登録補償金の規定があるのみで,実績補償金に関する規定は一切ない。このような事案をオリンパス光学事件の事案と同列に扱い,出願補償金及び登録補償金の支払を相当対価の支払の一部とみた上で,最後に支払われた登録補償金の支払時期(本件特許権の設定登録時である平成9年4月18日)から消滅時効が進行すると解することは,前記イ,ウで述べた特許法の趣旨に反するというべきである。本件は,オリンパス光学事件最高裁判決の射程の及ばない事案とみるべきであり,前述のとおり,本件においては,特許を受ける権利の承継時(平成2年9月)から消滅時効が進行すると解すべきものである。以上述べたところは,これと同趣旨のY学習院大学助教授作成に係る鑑定書(乙148。以下「Y鑑定書」という。)によっても裏付けられる。    

オ 時効中断の主張に対する反論      

ところで,原告は,被告の消滅時効に関する主張(上記ア〜エ)に対し,時効の起算点をどの時点と考えるかは別にして,被告会社が,本件特許権が設定登録された平成9年4月18日ころに原告に対して登録補償金1万円を支払ったことは,債務の承認(民法147条3号)に当たるから,同支払により消滅時効は中断していると主張する(後記3(3)ウ)。そして,これに沿うS法政大学名誉教授作成に係る意見書(甲136)を書証として提出している。      

時効中断事由としての「承認」といえるためには,権利の存在を認識し,その認識を表示したと認め得る行為が必要と解されており,上記鑑定書もそのことを前提にしていると考えられる。しかるに,被告社規における出願補償及び登録補償の定めは,前記のとおり,特許法35条の相当対価の支払の全部又は一部と評価できるものではなく,これとは別個の補償を定めたものと解すべきであるから,出願補償及び登録補償の支払をもって,被告会社が相当対価請求権の存在を認識し,その認識を表示したということはできない。      

たしかに,上記規定に基づく登録補償金1万円の支払は,裁判所が中間判決において正当に認定したとおり,特許を受ける権利の譲渡を前提に行われた行為である。しかし,使用者が特許を受ける権利の譲渡を受けたことを前提に行う行為は,出願から登録に至るまでの権利化のための行為,各種審判手続及び訴訟手続において権利を維持し,あるいはこれを行使するため発明者に協力を求める行為等,無数に存在する。これらの行為の度に消滅時効が中断するとの結論が不当であることはいうまでもないから,権利の譲渡を前提にした行為があったからといって,直ちに消滅時効が中断されるものではないというべきである。      

そもそも,債務承認が時効中断事由とされているのは,承認により債権者に債務支払に対する期待が生じるので,この期待を保護する必要があるからである。この点,実績補償制度が採用されている場合には,出願補償及び登録補償の支払により,実績補償に基づく支払への期待が高まるであろうから,出願補償及び登録補償の支払が債務承認としての意味を持つこともあり得よう。しかるに,被告社規のように,出願補償及び登録補償の支払のみが規定されていて,登録補償の支払規定が一切存しない場合には,出願補償及び登録補償が現実に支払われても,それ以上の支払のないことが明らかであるから,相当対価請求権の支払に対する期待は生じようがない。したがって,このような場合には,時効を中断してまで保護すべき債権者の期待が存在しない。      

以上によれば,本件における上記登録補償金の支払は,「承認」と評価される性質のものではないというべきである。この点に関する原告の上記主張は失当である。   

(5) 原告の予備的請求(その1)について     

原告は,予備的請求(その1)として,職務発明の相当対価請求権を定めた特許法35条3項に基づき本件特許権の一部(共有持分)の移転登録を求めるとしているが,同項はそのような内容の請求権を定めたものではない。     

原告は,代物弁済的な趣旨で上記移転登録を求めているのかもしれないが,特許権の共有持分の移転登録請求を認めることは,共有持分の自由譲渡性を否定する特許法73条の趣旨に反する。すなわち,特許権の共有者は持分に関係なく特許権に係る発明を実施できるので,共有者は,他の共有者の実施能力により大きな影響を受け,共有の相手次第で,自己の共有持分の経済的価値に大きな変動が生じる。そのため,自らが関与しないところで,第三者が共有関係に入ってくるのを阻止できる制度になっているのである。     

上記によれば,本件特許権につき,特許権者である被告の自由意思に反して(すなわち,被告の同意なしに)原告との共有関係を強制する結果となる原告の上記移転登録請求を認める余地はないというべきである。



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 注: 本内容は 東京地裁 同判決速報 の転載の一部です。







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